FC2ブログ

首座主教によるクリスマス・メッセージ

PPO_chrstmasring_TP_V4.jpg

「もう一人の主人公」
日本聖公会首座主教 北海道教区主教 ナタナエル 植松 誠



日本ではあまり知られていなかったかもしれませんが、2007年に公開された、キャサリン・ハードウイック監督の「マリア」という映画があります。

イエス誕生後、ヘロデ王がベツレヘム周辺の幼子を死に至らしめる場面から始まります。
その残虐な映像のあと、物語は1年前に遡り、ナザレの人々の中で、ヨセフとマリアを映し出します。
この映画はまさに、キリストの誕生までのヨセフとマリアの旅路の中で、二人がどのように関わりあっていくかを描いているのです。

物語の最初の場面では、ヨセフはマリアに惹かれますが、マリアにはその思いは届いていません。
ところが、ヨセフは彼女との結婚をマリアの両親に申し入れ、両親はヨセフと娘マリアを結婚させることにして、それをマリアに告げます。
ただし、1年間はそれぞれの実家で住むこと、夫婦になるのはその後であること、という掟が与えられます。
ヨセフとの結婚にあまり気の乗らないマリアですが、それを受け入れ、掟に従って家族と共に今まで通り暮らします。

ある日、天使からマリアに受胎告知がなされ、マリアは恐れおののきながらも「お言葉どおり、この身になりますように」と答えます。
天使から、親戚の年老いたエリサベトも身籠っていると聞かされ、彼女に会いに行くことを決めます。
言葉少ないマリアの表情から、今自分に起きている信じられないことに恐れを抱いていることがわかります。

ここまでは聖書にある通りの物語ですが、エリサベトの家から帰ってきてから、マリアにとっての苦しみが始まります。
身籠っているということを両親に打ち明け、神さまからのお告げを受けたことを話しますが信じてもらえません。婚約者であるヨセフも当然受け入れられずに苦しみ、マリアとの別れを考えます。
そのヨセフに天使が現れ、怖れずにマリアを迎えるようにと告げます。天使の言葉を信じたヨセフはマリアに会い、マリアの言う受胎告知を信じ、お腹の子どもを自分の子どもとして受け入れると彼女に話します。
けれども、二人は掟を破ったということで村の中では蔑まれ、辛い状況の中で夫婦となります。

それからしばらくして、住民登録のため、ベツレヘムに行くことになり、140㎞にも及ぶ、長い旅が始まるのです。まだお互いに、特にマリアは心から夫を信じきることもできない中での過酷な旅。
それでも、ヨセフはマリアを労わりながら旅を続けます。


この映画の特徴はヨセフを丁寧に描いていることです。
聖書の中ではほとんど描かれていないヨセフの姿が、心が、きっとそうだったのだろう・・・と我々が想像する苦難を淡々と受けていく、そのヨセフの姿に光が当てられています。
旅の途中で食べ物が少なくなると、マリアには多く渡し、自分は全部食べたふりをして半分を隠し、マリアを運ぶロバに与えます。川を渡る途中でロバから落ちて流されるマリアを必死で助けます。

その困難の中で、今までヨセフに対して頑なであったマリアが、だんだんとヨセフに心を開いていくのです。
大きくなっていくお腹に手をあてて言います。「お前を育ててくれるのは善良で良い人、自分のことより人のことを考えている」・・・と。


さて、この映画では、旅を通して三つの描写があり、平行線で描かれています。
一つはヘロデ王。
民を救う救い主が王となって現れるということへの恐れにとらわれ、その話に平常心を失い、王であることに執着し、絶えず恐れて、息子にまで助けを強いるヘロデ王。

二つ目は三人の博士たちです。
博士たちの旅も平行線で描かれています。ヘロデとは違い、希望を持って、信じる道に進み行きます。

そして、三つ目はヨセフとマリア。
様々な恐れの中、困難な中にありながらも、「神さま、私たちを助けてください・・・」と祈り叫びながら、それでも神のお告げを胸に、ベツレヘムへの困難な道を進みます。
ヨセフがマリアの顔を覗き込んで尋ねます「大丈夫?」と。
マリアは答えます。「神さまとあなたから力をいただいたから大丈夫」と。

ついにベツレヘムに着いたとき、マリアは産気づき、馬小屋に導かれます。
産みの苦しみのなか、ヨセフは泣きながらマリアから赤ん坊を取り上げます。
ヨセフにとっては、怖れながらも、まさに自分の子どもとしてイエスを抱きとめた瞬間でした。
そこにやってくる喜びに満ちた博士たちと羊飼いたち。
一方、ヘロデは恐れの頂点に達して、ベツレヘムの幼子たちを殺すようにと命じるのでした。

ヨセフとマリアが幼子を抱いてエジプトに旅立つところで、この映画は終わりますが、
「み言葉どおり、この身になりますように」と信じ続けた旅がまたそこから始まるのです。
ヨセフという助け手がどれほどマリアを支えたことか。ヨセフにとって、どれほど大きな葛藤があり、多くの犠牲があったことかは想像できます。
そのことを考えるときに、クリスマスの物語にヨセフが選ばれたこと、その後、イエスのお父さんとしてイエスと共に過ごし、イエスの人としての成長がヨセフのまなざしの中にあったことに深い感動を覚えるのです。

聖書の中にはあまり描かれていないヨセフの姿ですが、やはりマリアと同じように、心を刺し貫かれる生涯であったのではないかと思うのです。

2018.12.19 | 管区事務所

«  | HOME |  »

日本聖公会管区事務所

管区事務所 Web site HOMEへ

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

from nskk


九条鳩



150thanniversary