原発のない世界を求めて―原子力発電に対する日本聖公会の立場

 聖霊降臨後の期節に入り、聖霊降臨の出来事を憶えつつ、教会の働き、また、一人ひとりがその信仰生活の深まりへと歩みを続けておられることと思います。
 日本聖公会は5月22日から24日にかけて第59(定期)総会が行われました。その中で、「原発のない世界を求めて―原子力発電に対する日本聖公会の立場」を採択する件という議案が主教会より提案され、可決されました。

 これは、東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所の事故から最初の総会であり、日本聖公会が教団として、原子力発電と放射能についての態度を公にすることが必要であるとして、提案されたものです。「教会の中には、原発産業に関わる人々がいることも考慮しつつ、いのちを脅かすものに対しては、信仰に関わる問題としてこれを許さないという預言者的な役割を教会は果たさなければならない。原発の問題は政治問題ではなく、信仰と倫理の問題である」と提案理由のひとつは述べています。これからの具体的な課題は多く残されますが、引き続き日本聖公会として検討していくことになっています。

 可決された声明文をお送りします。どうかご案内、掲示などをしていただき、皆様に周知していただければと願います。 主にあって


2012年6月8日
管区事務所総主事
司祭 相沢牧人





原発のない世界を求めて
-原子力発電に対する日本聖公会の立場―



 東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所の事故は、周辺地域のみならず広範囲にわたって放射性物質を飛散させ、人々のいのちを脅かすとともに、原子力発電そのものが危険きわまりないものであるという事実を私たちに突きつけました。被爆体験を持ちながらも、これまで原子力発電と放射能の問題について十分な認識を持つことができなかった私たち一人ひとりにとって、それは神からの警告であるといっても過言ではありません。
 しかしそもそも、原子力発電そのものが、燃料採掘の段階から廃棄物処理にいたるまで、弱い立場に追いやられている人々に犠牲を強いるものであり、たとえ発電所の事故がなくても、それは神から与えられたいのちを脅かすものであることは否定できません。また、人々の犠牲の上に成り立っているという点で、イエス・キリストの教えに反するものだと言うことができます。

 にもかかわらず、私たちは「原子力の平和利用の名のもと、原子力発電所が日本各地に建設され、より多くの電力を消費することで(…)快適で文化的な生活を享受してきました。しかし、東日本大震災は、原子力の平和利用を標榜した原子力発電の安全神話を粉々に打ち砕きました。今後は、原子力に依存するエネルギー政策の転換と、私たちのライフスタイルの転換が強く求められています。」(2012年3月11日・日本聖公会主教会メッセージ)
 日本聖公会は、その深刻な反省に立って、改めて、次のような点で原子力発電には重大な問題性があると考えます。

神によって造られたいのちを脅かす
福島第一原子力発電所事故は、生きとし生けるものすべてのいのちを脅かしています。とくに、子どもの被曝は、将来の世代の健康を蝕んでいます。処理技術もないまま大量に生み出された放射性廃棄物は、長期にわたって人々のいのちにとって脅威になり続けます。しかも、日本のような世界有数の地震多発国における原子力発電所の存在は、将来にわたって事故を引き起こす危険性がきわめて高いものであるということは誰も否定できません。
さらに、海外のウラン鉱の採掘・精錬においても、先住民をはじめ労働に携わる人々を被曝させ、国内では原子力発電所の維持・管理にあたる原発労働者のいのちを危険に晒しています。また、原子力発電所から生み出される大量のプルトニウムは、直ちに核兵器の原料となりうるもので、原子力の平和利用と軍事目的とは表裏一体の関係にあります。また、戦争や紛争によって外部からの攻撃に晒された場合、危険性はきわめて大きなものとなります。

神によって創造された自然を破壊する
神は天地万物を創造され、最後に人間を創造されて、被造物すべてを保全する責任を委ねられました(創世記第1章)。原子力発電は、神による委託の範囲を超えて自然を破壊する行為です。長い時間を経て安定した状態にされた放射性物質を発掘し、自然界には少量しか存在しないウラン235を濃縮して核分裂を起こすことによって巨大なエネルギーを引き出す原子力技術は、自然生態系の安定性を破壊し、重大な結果を引き起こしています。また、原子力発電は二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーだとされてきましたが、実際には精錬の過程や維持管理において化石燃料を用いて大量の二酸化炭素を排出するのみならず、二次冷却水の温排水によって莫大な熱を環境に排出しているのです。
さらに原子力発電によって生み出された大量の廃棄物は、安全に処理することも保管することもできず、未処理のまま将来の世代に残されることになります。それらの廃棄物の処理に対する責任は私たちにあります。
私たち一人ひとりが、つくられたすべてのものを見て「良しとされた」神のもとに立ち帰らなければなりません。

神によって与えられた平和なくらしを奪う
原子力発電所は「絶対に安全だ」というふれこみのもとで、経済的疲弊を余儀なくされてきた地域に押し付けられてきました。それは雇用を創出し繁栄をもたらすと宣伝されてきましたが、実際には地域間格差を更に拡大しました。今回の事故によって周辺住民は住む家を失い、職場を失い、漁業や農業などの仕事も奪われ、生活基盤が確立できないために、子どものいのちを守るための避難もままなりません。さらに、広範囲の人々が、放射能汚染の脅威のために不安定な生活を余儀なくされ、精神的なストレスも深まっており、家庭崩壊さえもたらします。このような状況も私たちは深刻に受け止めていかなければなりません。

原発のない世界を求めて
このような点を踏まえて、日本聖公会において信仰生活を営む私たちは、まず、現在の事故において脅かされている人々、そしてこの地上のすべてのいのちを守るために祈り、イエス・キリストに従う者として公に発言すべきだと考えます。

なによりも、今回の原子力発電所事故がもたらした破壊的結果を、日本という国が責任をもって収束させるように求めるとともに、私たち一人ひとりがその責任を分かち合います。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(マタイによる福音書第7章12節)というイエス・キリストの教えは、私たちが原子力発電所の危険性と被曝を人口過疎地に押しつけたり、原発を他国に輸出することによって、その地に新たな危険性を創出したりすることを許さないからです。

私たちは教派・宗教を超えて連帯し、原子力発電所そのものを直ちに撤廃し、国のエネルギー政策を代替エネルギーの利用技術を開発する方向に転換するように求めます。そのために、利便性、快適さを追い求めてきた私たち自身のライフスタイルを転換することを決意します。苦しみや困難を抱える人々と痛みを分かち合い、学び合い、愛し合い、支え合って生きる世界を目指します。

神がこの地を祝福し、地の平和を取り戻してくださいますように。


2012年5月23日
日本聖公会第59(定期)総会



※pdfでもご覧頂けます
原発のない世界を求めて
-原子力発電に対する日本聖公会の立場―

2012.06.08 | 主教会

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