宣教150周年記念礼拝[管区事務所だより記事] / 首座主教 植松 誠

宣教150周年からの出発

日本聖公会宣教150周年の記念礼拝は、当初の予想を遥かに超える3000人ほどの参列者が東京カテドラル聖マリア大聖堂に集い、聖霊の大きなうねりのような躍動感に満たされた。この記念礼拝からそれぞれの地に帰っていった人々によって、この日の感動が各地で伝えられていると思う。

この礼拝への準備段階として、今年の聖霊降臨日には、宣教150周年に際しての主教会教書が出された。その中で、私たちは、過去150年にわたる日本聖公会の歴史を顧み、多くの宣教師や先人たちによる宣教の働きへの深い感謝を表明した。しかしながら、その歴史の中で、日本聖公会がキリストの福音を忠実に証ししていくことができなかった過去もあったことを認め、それを神の前で懺悔し、人々への謝罪をも表明した。日本聖公会が、小さな教会でありながらも、そのような歴史を持った教会であることは、これからの日本聖公会の歩みにとっては、その宣教の方策を立てる上で大変重要であると思う。それゆえに、主教会教書が出された後、記念礼拝の特祷や懺悔、代祷の作成においても、また、記念行事の平和シンポジウムについても、その観点からいろいろな議論が行われた。

日本聖公会が今、どのような基盤の上に立ち、何を宣教の重要課題にしていくのか、それが今回の記念礼拝でもはっきりと表されたと思う。「こぎ出せ、沖へ」という主の呼びかけに、今私たちは新たな歩みを始めようとしている。過去への悔い改めから、「平和と和解」の器となるべく、日本聖公会は日本にあっても世界にあってもその使命を果たしていくことの再確認の場が今回の記念大礼拝であったと思う。「平和と和解」は教会のわざである以上、日本や海外の紛争、分裂、不正などにおいて、日本聖公会として積極的に関わっていくことが求められている。東アジアの平和のために、アングリカン・コミュニオンの一致のために。また「平和と和解」は、一人ひとりの使命でもある。「平和と和解」を大上段に構えるのではなく、身近な場で、私たちが関わらなくてはならないことがいくらでもあるのではないか。家族の中に、教会の中に、地域社会の中に、私たちは平和と和解をもたらす器として、ひたすら従順に、地道に、辛抱強く、主の福音を証ししていくことが大事だと思う。

首座主教 北海道教区主教 ナタナエル 植松 誠

2009.10.20 | 宣教150年記念礼拝実行委員会

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