ウィリアムス祭について

ウィリアムス神学館学生会よりご案内をいただきました。
皆様ぜひ足をお運びください。




来る10月31日(月)に下記の通り「ウィリアムス祭~九州地震を憶えて~」を開催させていただくことになりました。

企画内容といたしましては、礼拝、喫茶室の開設、神学生の日常生活を紹介する展示コーナー、九州教区の武藤謙一主教による講演会等を予定しています。

私ども神学生の「祈り」・「学び」を中心とした日常生活を皆様にご紹介させて頂きつつ、神学館ならではの「祭り」となるよう鋭意準備を進めているところでございます。




日時  2016年10月31日(月)13時30分から
場所  京都教区センター オリーブ・パーム
内容  講演: ルカ 武藤謙一主教(九州教区)
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう」(ルカ 8:35)
     九州地震写真展
     喫茶(ニコラス館)
     唱詠夕の礼拝(16時30分~)

16ウィリアムス祭

2016.10.05 | 各教区の活動・お知らせ・その他

台風による災害報告/北海道教区

主の御業にお励みのことと存じます。
この度は、北海道の台風被害に対してお見舞い、お祈りをいただき大変ありがとうございます。

北海道は観測史上初めて、1週間に3つの台風が上陸し、亡くなられた方々がおられ、また上川、北見、十勝地方を中心に、風雨による大きな被害が発生しました。現在も鉄道や道路網が寸断され、物流に多大な支障が出ております。また、家屋の床上浸水も大変な数に上り、基幹産業である農業の損害は甚大で、今後、全国の食糧事情にも影響がでることが懸念されます。

教会関係では、信徒の家屋、教会建物に若干の被害がありましたが、大事に至ったとの報告は受けておりません。

いずれにしても、北海道全域で物流や産業が回復するのには、かなりの時間を要するものと思われます。引き続き、お祈りの内に加えて下されば幸いに存じます。また新たな情報が入りましたらお知らせ申し上げます。
どうぞよろしくお願いいたします。

主の平安がありますように。

北海道教区事務所主事
司祭 コルベ 下澤 昌

2016.09.06 | 各教区の活動・お知らせ・その他

被爆71年 長崎原爆記念礼拝 〈聖餐式〉 /九州教区

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ヨハネ15:4

被爆71年 長崎原爆記念礼拝 〈聖餐式〉
死の同心円から平和の同心円へ



昨年2015年は被爆70年の年。そして今年71年目を迎えました。 当時16歳であった当教会信徒・被爆者 西本信夫兄も86歳となられました。 長い年月が過ぎ、何とか生きながらえてきた多くの被爆者が次々に天に召され、直接の証言をお聴きすることもますます困難になりつつあります。 私たちは平和の主に従って歩み、今なお続くさまざまな争いと分裂、また憎しみと暴力の連鎖を断ち切るためにも、被爆者を通して語られる大切な声に聴いてまいりたいと思います。 今年も、原爆で失われた命また後遺症に苦しむ人々を覚えつつ、長崎から“平和の同心円”が広がるように、ぜひご一緒に祈りを捧げましょう。



戦後70年を覚えて

真理と平和の源である全能の神よ、アジア・太平洋戦争終結から70年を迎えたわたしたちは、すべての犠牲者の魂をあなたの憐れみの御手にゆだねて祈ります。 また今もなお痛みや苦しみの内にある人びとを覚え、主にある平安が与えられますよう お祈りいたします。 そして、わたしたちが過去の歴史から目をそむけず、地上の平和を脅かし、あなたの似姿に創造された一人ひとりの命と尊厳を奪い去るあらゆる戦争と暴力に対して、目を開き、声を上げ、あなたの平和の器となることができますように、知恵と勇気をお与えください。 父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
(2015年 主教会作成)




前後のプログラム

8月 8日(月)19:00
原爆殉難者慰霊祭
於・原爆落下中心地公園

■ 記念礼拝(聖餐式) 10:30~ 於・2階 礼拝堂
~「平和の同心円」を意識し、丸くイスを配置して礼拝を捧げます~

【役 割】
司 式 : 主教 ル カ 武藤 謙一(九州教区主教)
主教 アンデレ 中村 豊(神戸教区主教)
主教 ダ ビ デ 上原 榮正(沖縄教区主教)
説 教 : 主教 ローレンス 三鍋 裕(横浜教区主教)
式典長 : 司祭 マ ル コ 柴本 孝夫(長崎聖三一教会牧師)
その他の聖職も司式に加わる可能性があります。

【式 文】 専用の『式文』を用意します。(祈祷書の持参は必要ありません。)

【黙 祷】 原爆投下時刻-午前11時2分に黙祷を捧げます。

【献 花】 作成した同心円形の台に献花をします。

【祝 福】 聖水による祝福(洗礼の約束の更新)。

【各教会へ祈り連携のお願い】
各教会での礼拝と一体感を持ちたいと願っています。そこで・・・
*ぜひ多くの信徒・教役者の参加をお願いいたします。
*後日お届けする専用の用紙を用いて、7月中に各教会で、ひとり一言の平和 メッセージを集めて、長崎聖三一教会へ8月6日必着でお送りください。 当日礼拝堂内に掲示する予定です。

○近い主日8月7日の礼拝で・・・
*広島・長崎の被爆者を覚えつつ、文書「長崎聖三一教会被爆逝去者29名について」(後日掲載予定)を、礼拝中または礼拝後に、ご紹介ください。
*礼拝の中で聖歌第422番「長崎の空は」をお用いください。

○8月9日当日に礼拝をする場合には・・・
*原爆投下時刻-午前11時2分の黙祷をお捧げください。
*鐘がある教会は、鐘を鳴らして連帯しつつお祈りください。

■ 愛 餐 会 12:20~ 於・1階 ホール

■ 記念プログラム
13:00~ 於・2階 礼拝堂 および 市内

【集 会】 13:00~14:00 於・2階礼拝堂
被爆証言 - 森口 貢(もりぐち みつぎ)氏

【フィールドトリップ】 14:00~
A.聖公会さるく (約1時間コース)
オランダ坂、C・М・ウィリアムズ宣教師館跡、英国聖公会会堂跡碑、出島神学校跡など。
B.岡まさはる記念長崎平和資料館(加害展示資料館)見学 (見学約1時間)
JR長崎駅から徒歩約10分のところです。

● お 願 い
・申込は必要ありませんが、会場・食事の準備の都合上、7月31日までに、各教会・団体ごと に参加人数及びフィールドトリップの参加者数(A-○名、B-○名)をお知らせください。

● そ の 他
・前泊(8月8日宿泊)用のホテルを若干押さえています(シングルまたはツイン)。
必要な方は柴本孝夫司祭へ7月上旬までにお申し出ください。
・プログラムは、天候その他の事由により変更される場合があります。
・8月9日の長崎は大変混雑します。時間の余裕を持ってご移動ください。
・お問い合わせは、柴本孝夫司祭まで。長崎聖三一教会 電話/Fax 095(823)0455


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2016.06.09 | 各教区の活動・お知らせ・その他

リーフレット「平和がいま、こわれそう…」送付について

+主の平和がありますように

イースターと春が来た喜びのうちにお過ごしのことと存じます。
聖公会の信徒を含む「Peace Up 九条可視化の会」という有志のグループから、管区正義と平和委員会・憲法プロジェクトに「平和がいま、こわれそう…」というリーフレットの配布依頼があり、承諾の上でお送りいたします。安全保障関連法の問題点や緊急事態条項を簡潔な文章で説明し、現政権が進めてきた政策の流れを分かりやすく図解しています。

教会で政治的なことはちょっと…?と感じられるかも知れませんが、かつての過ちを繰り返さないためにも、いのちの大切な課題としてお一人お一人が考えていただけたらと願っています。どうぞ手にとってお読みくださり、掲示などでご案内くだされば幸いです。

2016年4月5日
日本聖公会 管区事務所
総主事 司祭 矢萩新一




リーフレット「投票へ行こう!Let’s Vote」のご案内

STOP! 安倍政権! 「アベ政治を許さない」 そう思っているけど、

「経済大事だし」と カフェで談笑している若い人たちに、
「忙しくて、それどころじゃないから」と子どもの進学を心配する親たちに、
「政治は政治家に任せておけばいいよ」と一日働いてやっと家でテレビを見ているおじさん、おばさんに、
「安倍さん、リーダーシップあるわよね」という、趣味のサークルの友だちに、
「政権批判なんてまずいだろ」という、職場の同僚に、

「いや、もうほんとに危険なんだって!」
「次の参議院選挙で自・公に入れたら、危ないの! だからちゃんと考えて投票して!」
と、どうやって、伝えたらいいのでしょうか?

そんなとき、「これ、ちょっと読んでみて」と渡せるリーフレットを作りました。

手に取りやすいデザイン、パッと読めるわかりやすい内容を目指しました。

いつもはそんな話が出来ない相手に、まず最初のきっかけを!
ほんの一歩踏み出す、ひとりひとりの勇気が、きっとつながって未来を変えると信じます。

◎リーフレットは2枚渡して、「誰かに1枚渡してね」と言ってみることを、お勧めします!

【申込み・問合せ】 「Peace Up 9条可視化」の会
http://peaceup9.jp/


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1辺12.8cm

2016.04.04 | 各教区の活動・お知らせ・その他

NCC宗教改革500年記念

2017年宗教改革500年を記念し、第7回日独教会協議会(NCC日本キリスト教協議会・ドイツ教会関係委員会企画)が4月22日~29日まで在日本YMCAを会場に行われます。
その企画の一環として、講演者の方々をNCC加盟教派の教会で主日にお迎えすることになりました。どなたでも自由にご参加いただけますので、どうぞお越しください。お待ちしております


NCC宗教改革500年記念:第7回日独教会協議会 主日説教および昼食交流会
宗教改革とディアコニア(仮題)

説教者:クラウディア・オスタレク(Claudia Ostarek)氏
ドイツ福音主義教会(EKD)の東アジア・オーストラリア・太平洋・北アジア担当幹事。幹事になる前は、牧師として 20年、地域の教会で奉職。

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通訳:竹内 謙太郎 司祭(日本聖公会東京教区退職司祭)

日時:2016年4月24日(日)10:30~聖餐式
※礼拝後、昼食をとりながら自由に歓談

場所:日本聖公会 阿佐ヶ谷聖ペテロ教会
杉並区阿佐谷北2-16-11  TEL 03-3338-4145


チラシはこちらからpdfでご覧いただけます

2016.04.04 | 各教区の活動・お知らせ・その他

聖バルナバミッション設立100年記念ウィークについて

英国聖公会から宣教のために東京で生活していたメアリ・ヘレナ・コンウォール・リー女史は、ハンセン病を抱える人々のため奉仕することを決意し、草津湯之沢に1916年(大正5年)に移り住みました。これが聖バルナバミッションの始まりです。リー女史は私財を用い、また、英国や米国からの寄付を受け、教会・幼稚園・女子ホーム・男子ホーム・夫婦ホームなど必要と思われる施設や事業を次々立ち上げました。

2016年はリー女史が草津に居住し、聖バルナバミッションが始まってから100年目の記念すべき年です。リー女史の働きを覚え、感謝し、伝えたいと願い、2016年5月1日(日)~7日(土)を記念ウィークとし、様々なイベントを用意しました。皆様のご来場を心よりお待ちしております。

日本聖公会北関東教区
聖バルナバミッションとリー女史記念事業推進委員会(通称:草津委員会)
委員長 菊池邦杳




【イベント概要】
・講演会@草津聖バルナバ教会
・フィールドトリップ
 楽泉園:重監房資料館・重監房跡・社会交流館等
 草津町:旧湯之沢地区などバルナバミッションゆかりの場所
・いっしょに歌おう♪@聖マーガレット館前庭
・日本聖公会北関東教区信徒一致の日合同礼拝(日本聖公会北関東教区主催)@草津楽泉園中央会館
・草津聖公会霊園訪問
・記念週間閉会礼拝@聖慰主教会
・ガーデンカフェ開催@聖マーガレット館前庭

会期中はリーかあさま記念館の開館時間を延長します
群馬県吾妻郡草津町大字草津289草津聖バルナバ教会に併設
10:00~17:00〔入場無料〕

※講演会・フィールドトリップ・草津聖公会霊園訪問はお申込みが必要です。


主催:日本聖公会北関東教区 聖バルナバミッションとリー女史記念事業推進委員会(通称:草津委員会)
協力:栗生楽泉園入園者自治会

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聖バルナバミッション設立100年記念ウィーク特設ブログ
http://stbarnabasm100th.seesaa.net/

2016.03.30 | 各教区の活動・お知らせ・その他

広島平和礼拝2016

人類最初の被爆地「広島」を有する日本聖公会神戸教区では、今年で11回目となる「平和礼拝2016」を8月5日と6日に実施します。

今、シリアでは、イスラム国実現を標榜するイスラム過激派の人たちが国土の一部を占領し、アサド政権弱体化によって、反政府勢力が勢いを増し、西欧諸国は爆撃によってイスラム国撲滅にやっきとなり、シリアに住む多く人たちが、故郷を捨てて、ヨーロッパ各国を目指して逃亡しております。世界は政治的にも経済的にもますます混迷を深め、特に若い人たちが将来に対して何の希望を抱くことができず混乱に拍車がかかっております。

原爆死没者の追悼を契機に、改めて戦争の悲惨さを思い起こすとともに、憎しみ合う人びとのことを思い、主イエス・キリストの贖いと執り成しによって、相互の和解と赦しの器として私たちが用いられることを願うものです。被爆者の高齢化に伴い、原爆の風化が叫ばれておりますが、原爆の悲惨さを次の世代に継承するため、教会の中高生・青年やキリスト教主義学校の生徒・学生の参加を期待したプログラムを企画しております。8月の暑い中ではございますが、心をひとつにし、「主の平和」をともに学び、行動し、祈る機会としたいと考えております。ぜひ多くの方にお声掛けくださり、平和礼拝に参加いただけたらと願いご案内申し上げます。

2016年2月22日
日本聖公会神戸教区 主教アンデレ中村 豊





広島平和礼拝2016
『ともに学び、行動し、祈ろう。そして一歩前へ』
-キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。(コロサイの信徒への手紙3:15)-



実施年月日:2016年8月5日(金)・6日(土)  
実施場所:広島復活教会ほか
主催/日本聖公会神戸教区・広島復活教会 
協力/カトリック広島司教区 運営/広島平和礼拝実行委員会・広島復活教会

※お問い合わせは、広島平和礼拝実行委員会・広島復活教会(082-227-1553)まで


●おもなプログラム
5日広島平和礼拝16


6日広島平和礼拝16

2016.03.03 | 各教区の活動・お知らせ・その他

日本聖公会東北教区 東日本大震災5周年記念聖餐式 および午後2時46分の黙想

2011年3月11日午後2時46分、未曽有の大震災が東日本を襲い多くの命が奪われ、家を失い、家族を失い、5年を経過して今なお故郷に戻れない多くの方々が仮設住宅・災害公営住宅での生活を余儀なくされています。

今、私たちはいまだ困難にある人を覚えつつ、召された人々の鎮魂の祈りの時を持ちます。また、黙想の中で体験された方の証を聴き、分かち合いたいと思います。

共に祈りましょう。皆さまの参加をお待ちしております。

2016年1月24日
日本聖公会東北教区主教 主教 ヨハネ 加藤博道
常置委員長 司祭 ピリポ 越山健蔵




日時:2016年3月11日(金)午後1時
場所:東北教区主教座聖堂・仙台基督教会

午後1時 記念聖餐式
午後2時30分 黙想(午後2時46分の打鐘を中心に)
講話と祈り
午後3時30分 茶話会(午後4時30分終了)

司 式  主教 ヨハネ 加藤博道(東北教区主教)
説 教  主教 パウロ 金 根祥(大韓聖公会首座主教)
臨 席  主教 ナタナエル 植松 誠(首座主教・北海道教区主教)
      日本聖公会教区主教


<お願い>
1.どなたでも参加できます。人数把握のため、参加を希望される方は、2月末まで教務所宛ご連絡くださるようお願いいたします(教会ごと、または参加団体ごとに人数を取りまとめてください)。また、教区代表のような形でご参加くださる方は、準備の都合上、事前にお知らせください。
東北教区教務所 電話022-223-2349、FAX022-223-2387

2.祈祷書をご持参下さい。「特祷・聖書日課・聖歌」はこちらで用意いたします。

3.ご来場は公共交通機関をご利用ください。やむを得ずお車でお越しの方は、隣接する駐車場「テクニカルパーク国分町第7」に駐車し、会場受付で駐車場「サービス券」をお受け取りください。ただし、台数に限りがありますので、満車の場合はご了承ください。

4.ご臨席される各教区主教、また各教区代表として出席される教役者の方は、式服をお持ちになり、開始30分前までにお越しください。祭色は白を用います。


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東北教区のホームページに案内書がございます。
こちらをご覧ください。

2016.02.02 | 各教区の活動・お知らせ・その他

2016 年 キリスト教一致祈祷週間 東京集会


テーマ「主の力あるわざを、広く伝えるために招かれて
(ペトロの手紙一 2章9節 参照)」

主のみ名を賛美いたします。
イエス・キリストを主と信じるすべての方々が心を一つにしてお祈りする一週間です。日本キリスト教協議会(NCC)とカトリック中央協議会が、思いを一つにして、日本全国に呼びかけています。これは100年前にエディンバラ世界宣教会議から始まった近代エキュメニカル運動による、全世界的な祈りの一週間です。

カトリックとプロテスタント、キリストにある兄弟姉妹が祈りを一つにまとめる一週間です。各地で様々な催しが行われることと思いますが、東京では下記の「東京集会」についてお知らせし、皆様の積極的なご参加をお勧めいたします。どうぞ、当日、下記の場所におきまして、プロタスタント、カトリック合同の祈りの一時を共有できればと存じます。ふるってご参加のほど、宜しくお願い致します。

日本キリスト教協議会(NCC) カトリック中央協議会



日時:2016年1月17 日(日)礼 拝:午後2時30分~
懇親会:午後3時30分~
司 式: 日本キリスト教協議会議長 小橋孝一
説 教: カトリック東京教区補佐司教 幸田和生
聖書朗読: 日本聖公会 三光教会司祭 神﨑和子
会場:日本聖公会 三光教会 (香蘭女学院のお隣の教会です。)
住 所: 品川区旗の台6-22-24
最寄り駅:東急池上線大井町線
旗の台駅より、徒歩4分
中原街道沿い
主催:カトリック東京大司教区
日本キリスト教協議会(NCC)
共催・協力:日本聖公会 三光教会
問い合わせ: 日本キリスト教協議会(NCC) TEL:03-6666-8760

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2016.01.07 | 各教区の活動・お知らせ・その他

いのち響きあう出会い ~つながりの中に生かされる私たち~

21世紀キリスト教社会福祉実践会議から
「いのち響きあう出会い ~つながりの中に生かされる私たち~」
のお知らせが届きました。

ほぼ2年に1度のペースで大会が開催されており、
日本聖公会は聖公会社会福祉連盟として
この超教派の集まりに20年程参加しております。
ご興味がございましたら是非ご参加ください。

お申込み方法・詳細は下記のpdfファイルにてご確認ください。
いのち響きあう出会い ~つながりの中に生かされる私たち~ご案内pdf



日時:2016 年2月11日(木・祝) 9:30~16:30 (受付開始9:00)

場所: 救世軍 杉並小隊 1階ホール
 〒166-0012 東京都杉並区和田2-21-39
 東京メトロ丸の内線 中野富士見町(10分)・東高円寺(15分)
 バス [中71] 中野駅―永福町「母子寮前」
  [渋66] 阿佐ヶ谷駅―渋谷駅「堀之内二丁目」

参加費:
 1日参加 2,000円 (学生1,000円)
 午前のみ 1,500円 (学生1,000円)

お申込み・お問い合わせ:
 FAX: 053-420-2100 TEL:053-414-1400

主 催:21世紀キリスト教社会福祉実践会議
事務局:0422-31-4611(ルーテル学院大学内 市川研究室)


■当日のスケジュール

09:00 受付開始

09:30 開会礼拝 (救世軍)
代表挨拶(幸田和生)

10:00 講演「弱さをきずなに
~べてるの歩みと当事者研究~」
(向谷地生良さん・「浦河べてるの家」 メンバーの皆さん)

12:00 昼食・物販

13:15 分科会(わかち合い)

15:15 全体会
まとめ(市川一宏)

16:00 閉会礼拝 (聖公会)

2015.11.27 | 各教区の活動・お知らせ・その他

A tale of two soldiers, or 'Why I oppose Japan's new security-related legislation'

This article from the Anglican Communion News Service.


Posted By The Revd Professor Dr Renta Nishihara

New legislation, the International Peace Support Bill and the Peace and Security Legislation Consolidation Bill, has been submitted to Japan’s Diet which may result in the country’s military fighting overseas. This would mean a significant change of policy - since the end of World War Two, Japan's constitution has only allowed the military to use force for self defence.The Revd Professor Dr Renta Nishihara tells why he opposes this change.

On May 27, 2010, an email arrived out of the blue from the USA. It was from a clergyman called Steven Kaehr, who lived in Wisconsin:

Dear Professor Nishihara,

I am a clergyman serving in the Wisconsin Annual Conference (U.S.A.) of the United Methodist Church. I live in the city of Oshkosh, Wisconsin where I presently serve as the pastor of First United Methodist Church. My next door neighbor, Earl Zwicky, died this past September 1st, 2009 at the age of 85. As a young man of about 18 years of age, Mr. Zwicky served as a Sergeant in the United States Army in the Pacific theater of operations during World War II.

During the course of fighting between American and Japanese forces, Mr. Zwicky and another U.S. soldier engaged in a running firefight with Japanese soldiers. One of those Japanese soldiers was killed in combat by a U.S. soldier under Sergeant Zwicky's command. Regrettably, Mr. Zwicky removed what in this country is referred to as a Japanese "good luck flag" [“hinomaru yosegaki”*] from the uniform pocket of the Japanese soldier and kept it as a war souvenir for the duration of his earthly life. Close to a year before his death, Mr. Zwicky expressed curiosity about what the Japanese writing on the flag meant. I promised Mr. Zwicky that I would try to find out what was written on the flag.

I took the flag to the University of Wisconsin campus here in Oshkosh, where one of my parish members, Miss Heidi Weinert, has a contact with a professor, Dr.Yoko Mogi-Hein. Dr. Mogi-Hein met with Heidi and me and translated the writing on the flag. In the course of the translation process, we learned a good deal about the Japanese soldier who carried this flag, not the least of which was that the young soldier in question was, in fact, an active student at Rikkyo University at the time he entered military service. Based on clues from the flag, we were able to ascertain that this student, whose family name was Watanabe was a member of the Kendo club as well as a mountain climbing fraternity, both of which I am made to understand are still in existence at Rikkyo University today.

I had made a promise to my neighbor, Mr. Zwicky, that I would find out the meaning of the writing on the flag. Earl Zwicky was only short days from his own death and lying in a hospital bed dying of cancer when I asked him to tell me the story about what had happened the day he acquired this flag. It was emotionally painful for Earl to speak about the details. He shared with me that he hadn't spoken of the events of that day since the war, but he told me how this former Rikkyo student had died. Mr. Zwicky told me the story and was then silent for some time. He finally looked up at me and asked, "Did this flag have a name on it?" I told him that, in fact, the flag did bear the family name of the Japanese soldier, as well as words of good luck and support from many of the soldier's family and friends.

Mr. Zwicky fell silent again for several minutes after I told him the name of the Japanese soldier and what we had learned about him and his family from the Yosegaki greetings written on the flag. I explained to Earl that those who had written on Mr. Watanabe's flag encouraged him to do his best to win, and to fight with honor. I believe that learning what was on that flag after all those years brought some measure of peace and closure to a spiritual wound that Earl Zwicky had carried for nearly seventy years.

Both Earl Zwicky and Mr. Watanabe were two young men, perhaps even two Christian young men, caught on opposite sides of a war. The mutual pain and suffering experienced by two nations at war is a well documented fact of history. What was lost to history and posterity was the story of this young Japanese soldier and how he died honorably in battle. When war is an abstraction and fought with anonymity it is somewhat easier to bear, but it becomes more complicated when one realizes that your "enemy" is a young man with a family who has hopes and dreams of his own. Earl Zwicky lived his entire life with the memory of one day of war hidden just beneath the surface of his consciousness. I believe that learning something about his former enemy gave Earl a measure of closure to a painful memory he had carried his whole life.

Mr. Zwicky's widow, Audrey, recently gave me Mr. Watanabe's "Good Luck" flag. My mission now is to see if any of Mr. Watanabe's family survived the war and are still alive. Based on the writing on the flag, Dr. Mogi-Hein believes that two of Mr. Watanabe's sisters signed his good luck flag; I can't help but think that if they are still alive they would want their brother's flag back. I often wonder to myself, did they ever know what had happened to their brother? Did they ever know that he had died honorably in battle? Did they live their lives thinking that he was simply missing in action?

If any of Mr. Watanabe's family still survive, I would like them to have an opportunity to have this part of his life back. If there are no surviving family, I wondered if Rikkyo University would like to have this flag, with yosegaki, perhaps to display with a small plaque to honor this former student. Rev. Nishihara, there is a lot of pain and suffering in our world. If by returning this flag I can bring about some measure of healing, peace and reconciliation in the life of the University, or in the lives of any surviving family of Mr. Watanabe, I would like to do so. If they have survived, and if you feel that it would be appropriate, I would like the chance to meet with the surviving family members or with representatives of the University. Perhaps the student records of the University survived the war and this student's family could be located.

Sadly, there are many of these so called "Good Luck Flags" for sale on the internet as war souvenirs. What the sellers of these flags don't recognize is that each flag represented a life that was lost. Had it been a family member of mine, I would want that flag back. As an act of reconciliation, I would like to see this flag be returned to this man's family or to the University. If this isn't possible or desirable, then the flag will likely end up being put on display at a World War II museum being built here in the city of Oshkosh. I would make sure that the museum curator knew the story that Mr. Zwicky and Mr. Watanabe shared in common. I feel a personal and pastoral calling to complete this journey, or to at least make an effort to bring some measure of healing back to a family in an attempt to heal a small part of the wounded heart of the world. Dr. Mogi-Hein has offered us her assistance, as she has family living near Rikkyo University.

Any help, advice or comments that you could offer would be received with gratitude.

Peace be with you,

Rev. Steven A. Kaehr

In consultation with Rikkyo University, President Yoshioka of Rikkyo University, and Mr Itoigawa, the Chairperson of the Rikkyo Gakuin, we traced the record of a student called Watanabe. The flag did not bear the name of the student himself, but we were able to clearly read the names of his school fellows, his parents, his older sister and his younger sister. However, these were the only clues. I thought that we might never get to the bottom of it.

However, all became clear afterwards as a result of searching and following slender leads. The name of the individual was Taihei Watanabe - an undergraduate student of the College of Economics. He was mobilized to the battle front and killed in Cebu in the Philippines in April 1945.

Miraculously, we were able to contact a niece of Taihei, Ms. Toshiko Yokoo, who was a graduate of the Department of Christianity at Rikkyo University. Yokoo’s mother (Taihei’s elder sister) died in December 2009. She spoke of the younger brother she had loved until she died. Yokoo brought us letters and photographs of Taihei that had been sent from the battle front. It’s impossible to read the letters without tears.

War is not at all an abstract thing. It is written in history that the United States Armed Forces fought against the Japanese military, but it is an absolute reality that two young men, Taihei Watanabe and Earl Zwicky, had to face each other with intentions that were not their own.

We at Rikkyo University can never forget that we were responsible for sending our precious students to the battle front. I showed the email from Rev. Kaehr to my seminar students. They all wept when they heard it. As I looked at their faces, I was at a loss for words. We must never send our precious students to war again. This is a responsibility of Rikkyo University.

On October 27, 2010, one flag relating to this Rikkyo student was miraculously returned to the university after 65 years. We embraced this important evidence as a mark of our determination to never again send our students to the battle front and to never tolerate war.

Therefore, I oppose the International Peace Support Bill and the omnibus Peace and Security Legislation Consolidation Bill which has submitted to the Diet, violating Article 9 of the Constitution. These bills would provide for Japan’s Self-Defence Forces to cooperate actively with US and other foreign military operations overseas.


The Revd Professor Dr Renta Nishihara

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The Revd Professor Dr Renta Nishihara is Dean of the College of Arts and Vice Chancellor of Rikkyo University in Tokyo.He has served as a member of the Inter-Anglican Standing Commission on Ecumenical Relations and the Anglican – Lutheran International Commission.

*The Good Luck Flag, known as hinomaru yosegaki (日の丸寄せ書き?) in the Japanese language, was a traditional gift for Japanese servicemen deployed during the military campaigns of the Empire of Japan, most notably during World War II. The flag given to a soldier was a national flag signed by friends and family, often with short messages wishing the soldier victory, safety, and good luck. (Source: Wikipedia)


Japanese version is available at Nippon Sei Ko Kai's web page.

2015.07.22 | 各教区の活動・お知らせ・その他

【声明】 安保関連法案を直ちに廃案にすることを求めます / 立教大学文学部教授 西原廉太


もう二度と、愛する学生たちに武器を取らせず、戦地に赴かせないために
私は、安保関連法案を直ちに廃案にすることを求めます


立教大学 文学部 教授 西原廉太


2010年5月27日に、アメリカから突然、一通のメールが私のもとに届きました。それは、ウィスコンシン州に住むスティーヴン・カーという牧師からでした。まったく面識のない方からでありましたので、戸惑いつつ読んだそのメールにはこう記されていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

親愛なる西原先生
私は、米国合同メソジスト教会、ウィスコンシン年会で奉仕する牧師です。ウィスコンシン州のオシュコシュ市に住んでおりまして、当地で、現在、第一合同メソジスト教会の牧師として働いています。私の隣家に住むアール・ツヴィッキー(Earl Zwicky)は、去る2009年9月1日に、85歳で天に召されました。ツヴィッキーが18歳の青年だった頃、彼は米国陸軍の軍曹として、第二次世界大戦下の太平洋戦域に赴きました。

米軍と日本軍が衝突する中、ツヴィッキーともう一人の米兵は、日本兵たちとの激しい銃撃戦となりました。その日本兵たちの一人が、ツヴィッキー軍曹の指揮の下、部下の兵士の攻撃によって倒されました。残念なことには、ツヴィッキーは、米国では、日本の(yosegaki-寄せ書き-が書かれた)「幸運の旗」(good luck flag)と呼ばれているものを、その日本兵の軍服のポケットから抜き取り、ツヴィッキーがこの世で生きている間、戦利品として所有し続けることになったのです。ツヴィッキーが亡くなる一年ほど前に、彼は、その旗にはいったい何が書かれているのか、その意味を知りたいと言うようになりました。私は、その旗に何が記されているのか、調べてみることを、彼に約束したのです。

私は、その旗を、ここオシュコシュにあるウィスコンシン大学に持参し、私の教会の信徒でもあるハイジ・ワイナート(Miss Heidi Weinert)の口添えで、同大学のヨーコ・モギ-ハイン(Dr. Yoko Mogi-Hein)教授に連絡を取りました。モギ-ハイン教授は、私とハイジに面会くださり、その旗に書かれていることを訳してくれました。その翻訳がなされる中で、この旗を持っていた日本兵について、私たちは多くのことを知りました。その内の一つが、この若い兵士が、実は、立教大学の現役学生であった、ということなのです。旗を手掛かりとして、私たちは、この学生の姓が、「ワタナベ」(Watanabe)と言い、剣道部、及び山岳会(a mountain climbing fraternity)のメンバーであったことを突き止めました。私が調べたところ、両部とも立教大学に今も存在するようです。

私は、隣人であるツヴィッキーとの、旗に記されている意味を明らかにするという、約束を果たしたのです。アール・ツヴィッキーが亡くなるほんの数日前、癌で死に行こうとする病院のベッドに横たわる彼に、私は、ツヴィッキーがこの旗を手にしたその日に起きたことについて聴かせて欲しいと願いました。アールにとって、そのことを詳しく語ることは、感情を抑えることが難しいほどに痛ましいことでした。彼は、終戦以来、決して語ろうとはしなかった、その日の出来事について、この立教の学生がいかにして命を落としたかについて、私に打ち明けてくれたのです。ツヴィッキーは、私に語り終えると、しばらくの間、沈黙していました。そして、彼は、私を見上げて、こう尋ねたのです。「この旗には、名前が書かれていたのか?」と。私は、旗には、その兵士の家族や友人たちからの激励と支えのたくさんの言葉と共に、実は、その日本兵の姓が記されていることを告げたのです。

私が、その日本兵の名と、旗に書かれた寄せ書きの言葉から知り得た、彼と彼の家族について語った後、ツヴィッキーは、またしばらくの間、沈黙していました。私はアールに、ワタナベの旗に寄せ書きをした人々は、彼が戦争で最善を尽くし、誇りを持って戦うよう励ましている、ということを説明しました。ツヴィッキーがこの旗から知った事実が、最終的には、アール・ツヴィッキーが70年近くも負い続けてきた心の傷を癒し、一つの区切りをもたらしたのだ、と私は信じています。

アール・ツヴィッキーもワタナベも、若い青年であり、戦争によって、敵対し合う場へと連れ行かれたのです。戦争で、両国民が経験した互いの痛みと苦難は、歴史に十分記されています。しかし歴史書に書かれず、後代の者たちが知り得ていなかったのは、この一人の若い日本兵についての物語であり、彼が戦いの中で、いかに威厳をもって死んでいったのか、という事実なのです。無名の人々との戦争を抽象的に語ることは容易いことです。しかし、自分の「敵」が、家族に愛された若い青年であって、自らの希望と夢に溢れた青年であったことを知った時、戦争というものを語るのは、そう簡単なことではなくなるのです。アール・ツヴィッキーは、その生涯のほとんどを、戦争の最中の、あの日の記憶と共に生きてきました。その記憶とは、彼の意識の底でずっと秘められ続けてきたものだったのです。私は、彼が戦った相手について何かしらを知ったことで、アールは、生涯負い続けてきた痛みの記憶を、ついに閉じることができたのだ、と信じているのです。

残された、ツヴィッキー夫人であるオードリー(Audrey)が、最近、私に、ワタナベの「幸運の旗」を譲ってくれました。今の、私のミッションは、ワタナベの家族のどなたかが戦争を生き抜き、今も健在であるかどうかを調べることなのです。旗に記された事柄を基に、モギ-ハイン教授は、ワタナベの二人の姉妹たちがその旗に名を記している、と言っています。もし、姉妹たちが健在であるならば、きっと彼女たちの兄弟の旗を取り戻したいと願うであろうと、私は思わざるを得ないのです。私はしばしば自問するのです。彼女たちが、兄弟に起こったことを知っているのだろうか、と。兄弟が、戦いの中で威厳をもって死んで行ったということを知っているのだろうか、と。

もし、ワタナベの家族のどなたかが生きておられるならば、私は、この彼の人生の一部を、彼の家族に戻したい、と願うのです。もし、どなたも生きておられないならば、私は、立教大学が、この寄せ書き-yosegaki-が書かれた旗を、額に納めて、あなたたちの大切な一人の学生を覚えていただきたい、と思うのです。西原先生、私たちのこの世界には、たくさんの痛みと苦しみがあります。もし、私が、この旗を返すことができたならば、私は、あなたの大学に、あるいはワタナベの家族の生に、何かしらの癒しと平和、和解の種をもたらすことができるのだと思うのです。私はそのようにしたいのです。もしご家族が生きておられて、また、あなたが、それが良いことだと思われるならば、私は、ご家族、そして、立教大学の代表者の方々とお会いする機会を持ちたいのです。大学の学籍録などが戦争で失われていなければ、この学生の家族の所在も判るのではないでしょうか。

悲しいことに、時に、このいわゆる「幸運の旗」は、戦利品を扱うインターネットのサイトなどで売り買いされることがあります。これらの旗を売っている者たちは、一つひとつの旗が、失われた者の人生を表していることを理解していないのです。もしそれが私の家族のものであれば、何としても取り戻そうとするでしょう。和解の働きとして、私は、この旗を、この学生の家族、もしくは、立教大学に返したいのです。もし、この願いが叶わないのであれば、その場合には、ここ、オシュコシュ市にある「第二次世界大戦博物館」に展示されることになるでしょう。この博物館の学芸員は、ツヴィッキーとワタナベの物語を知っています。モギ-ハイン教授が、力添えを申し出てくれています。彼女のご家族が、立教大学の近くにお住まいだということです。
 あなたが、何かしらお手伝いくださり、またご助言くだされば、幸いです。
 あなたに平和がありますように。
 スティーヴン・A・カー(Rev. Steven A. Kaehr)
 第一メソジスト教会
 オシュコシュ、ウィスコンシン、米国。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このメールを受け取り、私はすぐにカー牧師に連絡をしました。カー牧師によれば、メール中にも登場するモギ-ハイン教授から、立教大学はキリスト教で聖公会の大学なので、“Anglican”(聖公会という意味)と“Rikkyo”でネット検索をしてみたら、というアドヴァイスを受け、サーチしてみたところ、CUAC(世界聖公会大学連合)のサイトに行き当たり、そこの立教の頁に、私の名前とメールアドレスがあったので、連絡ができた、ということでした。また偶然にもカー牧師のお父さんは、カリフォルニア、サンディエゴの米国聖公会司祭でした。

私はカー牧師に、すぐにPDFで「旗」の写真を送ってもらいました。立教大学、吉岡総長、立教学院、糸魚川理事長とも相談し、立教大学として、この「ワタナベ」という学生の記録を辿ることになりました。旗には、本人の名前はありませんでした。ご両親、お姉さん、妹さんの名、また、学友たちの名前がはっきりと読み取れましたが、手がかりはそれだけであり、私は、最終的には分からないのではないかと思っていました。しかし、その後、調査を担当くださった学院職員の、いわば執念にも近い探索の結果、か細い糸を辿るようにして、すべてが判明しました。

この学生の名前は「渡邊太平」と言い、学徒動員で戦地に赴き、1945年4月にフィリピン、セブ島で戦死した経済学部生でありました。さらに奇跡としか言う他ない形で、太平さんの姪御さんが判明し、しかもその姪御さんである横尾とし子さんは、私が属する立教大学キリスト教学科の卒業生でありました。姪御さんのお母さん、太平さんのお姉さんは、2009年12月に他界されていました。亡くなる直前まで、愛する弟のことを口にされていたそうです。姪御さんは、お母さんが大切にされていた戦地から送られてきた太平さんの手紙や、写真を持参くださいました。その手紙は、涙なくしては読めないものです。召集のために未提出であった太平さんの論文も大切に保存されていました。

カー牧師はこのように言われます。「無名の人々との戦争を抽象的に語ることは容易いことです。しかし、自分の<敵>が、家族に愛された若い青年であって、自らの希望と夢に溢れた青年であったことを知った時、戦争というものを語るのは、そう簡単なことではなくなるのです。アール・ツヴィッキーは、その生涯のほとんどを、戦争の最中の、あの日の記憶と共に生きてきました。その記憶とは、彼の意識の底でずっと秘められ続けてきたものだったのです。アールは、生涯負い続けてきた痛みの記憶を、ようやく閉じることができたのです。」

「戦争」とは、決して抽象的なものではありません。日本軍と米軍が戦った、と歴史には記されるのみですが、「渡邊太平」と「アール・ツヴィッキー」という名前を持った青年たちが、意図せず向かい合わざるを得なかった、というきわめて具体的な事柄なのです。そして、私たち立教大学も、時代状況ということはあれ、自分たちの大切な学生たちを、戦地に送り出してしまった、という責任を決して免れることはできません。私は、カー牧師からもらったメールを、ゼミの学生たちに紹介しました。学生たちはみんな、目を真っ赤にして聞いていました。私も、一人ひとりの学生の顔を見ながら、絶句してしまいました。私たちは、二度と、自分たちの大切な学生を戦争に送らない。それは、大学としての、立教大学としての責任です。

2010年、10月27日。一人の大切な立教生の「証し」が、実に、65年の歳月を経て、奇跡的に立教大学のキャンパスに戻ってきました。その時、私たちは、この大切な「証し」を、立教大学が、かつて戦争に協力してしまった罪責を自覚し、もう二度と、愛する学生たちに武器を取らせず、戦地に赴かせない決意の<しるし>として迎えたのです。

それゆえに、私は、明らかに憲法に違反しており「戦争ができる国」へと道を開く安保関連法案を、直ちに廃案とすることを求めます。


2015年7月18日
立教大学 文学部 教授 西原廉太
(日本聖公会中部教区司祭)





/// pdfファイル ///


アングリカン コミュニオン ニュース サービス(ACNS)にも記載されております。(英文表記)
A tale of two soldiers, or 'Why I oppose Japan's new security-related legislation'

2015.07.21 | 各教区の活動・お知らせ・その他

安全保障関連法案の強行採決に抗議し、法案の撤回を求める緊急声明 / 大阪教区・京都教区

内閣総理大臣 安倍晋三 殿
衆議院議長  大島理森 殿
参議院議長  山崎正昭 殿

 わたしたちイエス・キリストの教えに忠実であろうとする日本聖公会大阪教区および日本聖公会京都教区の教役者有志は、安倍政権が今国会の衆議院特別委員会および衆議院本会議で強行したいわゆる「国際支援法案」および「平和安全法制整備法案」の採決に強く抗議し、本法案の撤回・廃案を求めます。

 これらの法案は、日本国民が戦後の国際社会の中で長らく追求してきた平和国家への道を完全に塞ぎ、日本を「いつでも」「どこでも」「切れ目なく」戦争を行うことができる国に変えるための法案です。しかも、首相自身も認めているようにまだ法案に対する人々の理解ができていない状況において与党のみで強行採決を行うことは、民主主義・法治国家を破壊しようとする暴挙であると言わざるをえません。

 日本および世界の世論は、こうした安倍政権のやり方を非常に危険なものであることを見抜き、不戦を誓った日本国憲法に真っ向から違反していると考えています。憲法学者の圧倒的多数がこれらの法案は憲法違反であるという意見を述べているのはその一つの表れです。日本国憲法第9条は、明確に「武力による威嚇および武力の行使の放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」を謳っています。これは過去の戦争において、自国民とアジアおよび世界の諸国民に与えた大きな命の犠牲と塗炭の苦しみに対する反省から生まれたものです。今安倍政権が強行成立させようとしている法案は、こうした戦後の自国民と諸国民の願いを踏みにじり、「同盟国」アメリカの戦争に積極的に参加することを目的としています。「戦争に巻き込まれることはない」という安倍首相の言葉は、戦争の現実を無視した空論であり、実際には日本が危険な戦闘行為に投げ入れられることは自明です。
 イエス・キリストが祝福された「平和を愛する」者であろうとするわたしたちは、戦争準備を可能にするこれらの法案に強く反対するとともに、民主主義の原則を破壊する強行採決の暴挙に抗議するものです。

2015年7月17日


日本聖公会大阪教区教役者
主教 磯 晴久
司祭 山本 眞
司祭 齊藤 壹
司祭 岩城 聰
司祭 原田光雄
司祭 竹林徑一
司祭 古澤秀利
司祭 金正
司祭 義平雅夫
司祭 千松清美
司祭 奥村貴充
司祭 井上進次
主教 大西修
司祭 鍋島守一
司祭 山根貞夫
司祭 奥康功
執事 成岡宏晃
執事 田宮紘
聖職候補生 金山将司


日本聖公会京都教区教役者
主教 高地 敬
司祭 藤原健久
司祭 岩田光正
司祭 吉田雅人
司祭 出口 創
司祭 奥晋一郎
執事 鈴木恵一
執事 中尾貢三子
執事 出口 崇
司祭 古本みさ
司祭 古本靖久
司祭 石塚秀司
司祭 大岡 創
執事 大岡左代子
司祭 井田 泉
司祭 矢萩新一
司祭 三木メイ
司祭 古賀久幸
司祭 黒田 裕
聖職候補生 麓敦子
司祭 小林 聡
司祭 マーク・シュタール
司祭 池本則子
執事 石垣 進
司祭 北山和民

2015.07.21 | 各教区の活動・お知らせ・その他

安全保障関連法案に対する緊急抗議声明 / 中部教区宣教局社会宣教部

内閣総理大臣 安倍 晋三 様
衆議院議長  大島 理森 様
参議院議長  山崎 正昭 様


 わたしたち日本聖公会中部教区宣教局社会宣教部は、安倍政権が掲げる「積極的平和主義」は「戦争で平和を創る」ということであり、集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法案は憲法違反であるということから、安全保障関連法案の撤回・廃案を求めます。

 また、安部総理大臣が「国民の理解は進んでいない」と答弁しながら、7月15日に特別委員会にて安全保障関連法案の採決を強行したこと、7月16日に衆議院本会議にて可決したことに断固抗議いたします。

 安全保障関連法案は、自衛隊が「いつでも」(国際平和支援法)・「どこでも」(重要影響事態法)・「切れ目なく」(グレーゾーン)、他国が起こす戦争に介入し、武力を行使できるようにする「戦争法案」です。わたしたちは、自衛隊を他国で戦う軍隊に変え、戦争をする国にするような法案を認めることはできません。

 日本国憲法は、破壊的な戦争の反省によって作られた憲法であるとともに、この戦争によって甚大な被害を受けた国内外の人々の尊い犠牲の上に作られた憲法です。特に憲法第9条は「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」を定め、国内外で平和憲法と認められています。この平和憲法があるからこそ、平和国家として信頼され、平和的外交をすすめることができるのです。
 集団的自衛権の行使を認め、世界中の戦場へ自衛隊を派遣することは、憲法9条に違反します。

 わたしたちは、「平和を実現する人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5章9節)とのみ言葉に生きる者です。戦争が平和を実現することは決してありません。
 わたしたちは、安全保障関連法案の撤回・廃案を求め、強行採決に断固抗議いたします。

以上

2015年7月16日

宗教法人日本聖公会中部教区
宣教局社会宣教部

2015.07.21 | 各教区の活動・お知らせ・その他

日本聖公会東京教区教役者有志からの緊急声明 /東京教区

内閣総理大臣 安倍晋三 殿
衆議院議長  大島理森 殿
参議院議長  山崎正昭 殿


戦争法案に対する緊急声明
剣を取るものは皆、剣で滅びる(マタイによる福音書26章52節)



私たちは今国会に提出されている「国際支援法案」及び「平和安全法制整備法案」(いわゆる戦争法案)に反対します。

安倍晋三内閣は7月15日に安全保障法制関連法案の委員会採決を強行しました。わたしたちはこの採決に反対するとともに本法案の撤回・廃案を強く求めます。

理由は下記によります

①憲法違反の法案
多くの憲法学者が指摘するように本法案は憲法に違反しています。60年以上にわたって積み重ねられてきた「集団的自衛権の行使は憲法違反」という政府解釈を安倍政権が覆したことを契機に本法案は提出されました。本法案は自衛隊の「専守防衛」の原則を反故にしてしまいます。ひとたび戦闘が始まれば戦争状態となり「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」した憲法前文と「武力行使」を禁じた憲法9条一項に違反します。
また、同盟国の戦争の兵站や後方支援を担うことは日本が「戦争当事国」になることを認め自衛隊法の3条に違反します

②法治国家の危機
この法案は「我が国の存立危機事態」に際し自衛隊が世界中に派遣され、同盟国の兵站・後方支援を担うことを主眼にした法律です。しかし、この「我が国の存立危機事態」の定義が極めてあいまいであり、政権担当者の裁量によって決定されていきます。すなわち自衛隊の派遣について時の政権に白紙委任を与えたに等しくなり、この点で日本が法治国家であることを自ら放棄してしまう法案になっています。

日本国は憲法9条によって戦争を放棄しました。これは先の戦争において自国民300万人そして近隣アジア諸国の多くの人々に犠牲を強いてしまった反省によります。日本国憲法はその前文において「日本国民は、恒久の平和を念願し、」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣言しました。憲法9条を通して私たちは対話と協力に基づいて国際社会の秩序を保つことを努力してきました。また、憲法9条の存在によって紛争地においても中立の立場で国際協力を担うことができています。

そもそも政治は自国民を戦争に巻き込まないことが第一であるべきです。特に近隣諸国との対話は平和を維持するうえで重要です。しかし安倍首相の発言においては仮想敵国として中華人民共和国が設定されており、首脳間の対話は政権発足後3年の間であいさつ程度しか行われていません。むしろ積極的な対話が二国間の課題を解決する道であると考えます。

そして、この法案は同盟国アメリカ合衆国の戦争に積極的に参加することに主眼を置いています。「戦争に巻き込まれることはない」と言いますが、敵軍の兵站線を攻撃・破壊し、補給を断ち敵軍の継戦能力を奪うことは、軍事上の常識であり、戦争の根幹に関わる戦略的な行為です。兵站・後方支援は戦闘地域において最も危険な任務の一つであり、故にこの安全保障法制関連法案は、積極的な戦争法案と言えます。

私たちは先の戦争から70年の間戦争をすることがなく過ごしてきました。これは国家の意志として戦争放棄・平和国家への希求があったからです。戦争は人びとの生活と人間性を奪い取ります。

わたしたちは、今のこどもたち、そしてこれから生まれるこどもたちが平和の中で、自らの生きる道を自らの手で選択して生きていける世界であることを願います。

そのためには現在国会に提出されている安全保障関連法案が間違いであることを宣言しこの法案の撤回・廃案を求めます。


2015年7月15日

日本聖公会東京教区教役者有志
司祭 須賀義和
司祭 田光信幸
司祭 前田良彦
司祭 中村邦介
司祭 井口諭
司祭 高橋宏幸
司祭 下条裕章
司祭 宮崎光
司祭 高橋顕
司祭 八木正言
司祭 金大原
司祭 笹森田鶴
司祭 香山洋人
司祭 中川英樹
司祭 中村淳
司祭 大森明彦
司祭 倉澤一太郎
司祭 橋本克也
執事 佐久間恵子
聖職候補生 下条知加子
聖職候補生 太田信三

2015.07.16 | 各教区の活動・お知らせ・その他

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